話しはフセインについてから始まった | ちっべあ

話しはフセインについてから始まった

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昨日はなんと終電で家に帰った。しかも終電に乗るまで、これが最後の電車と知らずにハッピーゴーラッキー(のんき)にいた。
ついていた。

そんな遅くまで何をしていたかというと、ハンブルグに住んでいるサラエボのプロジェクトを通して知り合った友達がベルリンに来たのだ。そして、ベルリンに住んでいるイラン人のアーティストの家で夜だけどお茶をした。夜中まで。
今月の頭からドイツ語を習い始めたとはいえ、まだ中1の初めに習う英語レベルであって、話しには到底ついていけないのに、まずはフセインの話しからだった。そう、あのフセイン。

まあ、すぐにシリア人の人々が現れ、英語での会話に。
日常会話なら、まだついていけるかな~ってぐらいなのに、政治話し。
日本語でもついていけないよ。
でも、何時間もみんな真剣にアートプロジェクトがどうたら、NGOがどうたら、イランがどうたら、ボランティア、日本人。。。。。
と話す物だから、すごーくエネルギーをいただいた。
うおー作品つくりたい!!!!私もいっぱいコミュニケーションとるための語学力がほしい、知力よ~かも~ん!!
ってすごく思った。

そして、やっぱり私はボランティアという単語に敏感になっている事に気がついた。
シリアにボランティアに行っていたベルギー人の女の人の英語は聞いた事もないぐらい早く、
私は妄想で勝手に解釈していたけど、
ただボランティアという単語がでてきただけで、あまり良い気分にならない。
なんていったらいいのか。
この気持ちはなんだろう。。。。
「んー、なになぜなんでどうしてそれでそれが。でもみんな個人だしね。好きずきだよね。でもさ。」
っていう。
なんにも考えてなくて、誰とも会わなくて、なんにもつくり出して無いよりは数億倍面白いけど、
過去にボランティアとい言葉に苦しまされた思いがあるからか、その言葉自体の存在が納得できない。
でも、考える力の源の一部になるかよしとしておこう。
って話し出すときりがなく、意味が不明になるばかりなのでやめておこう。

というか、最近久しぶりに予定だの、約束だの、プランだの、プロミスなどができて嬉しい。
生活にメリハリがつくけど、すると時間が無くなる。
おふこーす、ぼーっとする時間も。
でも決めたい事がいっぱいあるから、考える時間もたくさんいる。
どっちにしろ、多少やりたいこととやらなきゃいけないことがあることは素敵な事だ。
ただバランスを保つのがむずい。

あと、ちょっとした商売を思いついたので日曜にやってみようと思う。
ってここ書けば、やらなきゃってなるから書いてみた。